俵山温泉2泊3日(その二)
県内の俵山温泉に2泊3日の予定で、リフレッシュを兼ねてW氏と共に来た。
山下旅館にお世話になった。リーズナブルな価格で宿泊できるのが魅力。食事は部屋食で近くに仙崎港などの漁港が存在するためか、魚系の副食がメインのようだ。また、ここの俵山温泉はもともと湯治場で発展した温泉地である土地柄の所為か、老人向けの食事が主体で、魚、野菜等が多いような感じである。肉好きの人も心配することはない。もちろん、お願いすれば肉類等も食膳にあがるはずである。
宿泊2日目は一日中、温泉に入る以外何もすることがない。そこで昼間はジョギング(歩く)で行けそうな近場の史跡めぐりをすることにした。W氏は毎日、10km程度ジョギングしているらしく、ジョギングが日課なのでこちらに来ても励行しなければと言っていたから一石二鳥である。
早速、朝食を8時に済ませ、近隣の史跡めぐりに出発した。まずは俵山温泉から古市方面に3kmほどのところに大内義尊の墓があるということなので舗装された道路を進んで行った。
舗装された道路沿いは山、田畑ばかりでところどころに民家があるそんなのどかな田舎風景が目に写る。もう、この地域は田植えが始まっていた。また、田畑の周囲をトタン、金網等で囲っている。野生の動物のいのしし、しか、さるが田畑を荒らすため、その予防柵であるらしい。
他愛ない話をしながら歩いていると蓮華の花が一面に咲いた田を見つけた。久し振りに蓮華を見た。我々の子供時代は田一面に蓮華の花が咲いていてその蓮華田の中で「かくれんぼ」しながら遊んだ記憶がある。なぜか、そんな時代を彷彿とさせてくれる。
次の写真が蓮華の花が咲いた田である。

それからしばらくすると、道沿いに「大内義尊の墓」と書かれた史跡標識を見つけた。その標識から左側の山裾に墓が見える。歩いて2~3分のところの墓である。行って見ると確かに大内義尊と書かれた墓石がある。さほど大きくはない。小さな史跡である。
隣接して民家がある。その民家の住民がその墓を管理しておられるようだ。
その大内義尊の墓を写真に撮ろうとしたところ、バッテリー切れのメッセージがでて撮れなかった。その後、他の史跡で再度、写真を撮ろうと試みたところ、写真はちゃんと撮れた。デジカメのバッテリー切れでもなかった。大内義尊の墓前での不思議な現象に少しビビッテしまった。こんな体験は初めて。
そこからUターンして俵山温泉方面に帰った。その帰り途上、有名な「魔羅観音」に立ち寄った。ここは子宝に恵まれない夫婦にご利益があるらしい。以前、立ち寄った時よりもやや寂れているようだ。俵山温泉も以前よりは寂れているようだし、この地区全体に以前より活気がない、そんな印象を受けた。
俵山温泉観光地図に魔羅観音の近くに「五段の滝」「七段の滝」が書き込まれてあった。どのような滝か興味をそそったので行って見ることにした。その滝が次に示す写真群である。
滝がある一帯は、夏、涼気を求めてキャンパーが集うようなところで、近くにはキャンプ場があった。滝自体の規模はそんなに大きくなくて山の谷間には何処にでも見られるようなそんな滝だった。
前2枚が「五段の滝」、後2枚が「七段の滝」




出発地点の俵山温泉に戻ってきた。もう、昼時であるが俵山温泉が一望できる小高い山に公園がありそうなので登ってみることにした。また、この小高い山の傾斜地一面に旬は過ぎたがサツキが咲き誇っていただろう景色が伺える。この公園の名は失念した。確か、○○○公園と漢字三文字だったようだ。
この山の頂上には中に舞台らしきレイアウトがあるRC造りの建屋が建っていたが、今では寂れて兵たちの夢の後というような感じであった。活気のなさを前述したが、ここでもその一端を垣間見る思いがした。
俵山温泉も後継者不足に悩んでいるのではなかろうかと想像してしまう。ここの住民も他と変わらず中高年層の世代が大半のようだ。若い人の姿を町内で見かけない。見かけても明らかに他市町村からきた温泉客だ。
腹が減ってきたので小高い山から下山?して『町の湯』に併設された食堂で鴨肉うどんと生ビールで空腹を満たした。このときの生ビールは最高だった。至福の一時という感じ。
その後、山下旅館に戻って、昼寝をした。湯ったりとした宿泊2日目であった。
最後に、山下旅館別館の位置は、小高い山の公園に登れば、ひと目でわかる。なぜかって、それは屋根全面に「山下旅館」と漢字で書いて屋根公報をしている唯一の旅館だからである。
山下旅館にお世話になった。リーズナブルな価格で宿泊できるのが魅力。食事は部屋食で近くに仙崎港などの漁港が存在するためか、魚系の副食がメインのようだ。また、ここの俵山温泉はもともと湯治場で発展した温泉地である土地柄の所為か、老人向けの食事が主体で、魚、野菜等が多いような感じである。肉好きの人も心配することはない。もちろん、お願いすれば肉類等も食膳にあがるはずである。
宿泊2日目は一日中、温泉に入る以外何もすることがない。そこで昼間はジョギング(歩く)で行けそうな近場の史跡めぐりをすることにした。W氏は毎日、10km程度ジョギングしているらしく、ジョギングが日課なのでこちらに来ても励行しなければと言っていたから一石二鳥である。
早速、朝食を8時に済ませ、近隣の史跡めぐりに出発した。まずは俵山温泉から古市方面に3kmほどのところに大内義尊の墓があるということなので舗装された道路を進んで行った。
舗装された道路沿いは山、田畑ばかりでところどころに民家があるそんなのどかな田舎風景が目に写る。もう、この地域は田植えが始まっていた。また、田畑の周囲をトタン、金網等で囲っている。野生の動物のいのしし、しか、さるが田畑を荒らすため、その予防柵であるらしい。
他愛ない話をしながら歩いていると蓮華の花が一面に咲いた田を見つけた。久し振りに蓮華を見た。我々の子供時代は田一面に蓮華の花が咲いていてその蓮華田の中で「かくれんぼ」しながら遊んだ記憶がある。なぜか、そんな時代を彷彿とさせてくれる。
次の写真が蓮華の花が咲いた田である。

それからしばらくすると、道沿いに「大内義尊の墓」と書かれた史跡標識を見つけた。その標識から左側の山裾に墓が見える。歩いて2~3分のところの墓である。行って見ると確かに大内義尊と書かれた墓石がある。さほど大きくはない。小さな史跡である。
隣接して民家がある。その民家の住民がその墓を管理しておられるようだ。
その大内義尊の墓を写真に撮ろうとしたところ、バッテリー切れのメッセージがでて撮れなかった。その後、他の史跡で再度、写真を撮ろうと試みたところ、写真はちゃんと撮れた。デジカメのバッテリー切れでもなかった。大内義尊の墓前での不思議な現象に少しビビッテしまった。こんな体験は初めて。
そこからUターンして俵山温泉方面に帰った。その帰り途上、有名な「魔羅観音」に立ち寄った。ここは子宝に恵まれない夫婦にご利益があるらしい。以前、立ち寄った時よりもやや寂れているようだ。俵山温泉も以前よりは寂れているようだし、この地区全体に以前より活気がない、そんな印象を受けた。
俵山温泉観光地図に魔羅観音の近くに「五段の滝」「七段の滝」が書き込まれてあった。どのような滝か興味をそそったので行って見ることにした。その滝が次に示す写真群である。
滝がある一帯は、夏、涼気を求めてキャンパーが集うようなところで、近くにはキャンプ場があった。滝自体の規模はそんなに大きくなくて山の谷間には何処にでも見られるようなそんな滝だった。
前2枚が「五段の滝」、後2枚が「七段の滝」




出発地点の俵山温泉に戻ってきた。もう、昼時であるが俵山温泉が一望できる小高い山に公園がありそうなので登ってみることにした。また、この小高い山の傾斜地一面に旬は過ぎたがサツキが咲き誇っていただろう景色が伺える。この公園の名は失念した。確か、○○○公園と漢字三文字だったようだ。
この山の頂上には中に舞台らしきレイアウトがあるRC造りの建屋が建っていたが、今では寂れて兵たちの夢の後というような感じであった。活気のなさを前述したが、ここでもその一端を垣間見る思いがした。
俵山温泉も後継者不足に悩んでいるのではなかろうかと想像してしまう。ここの住民も他と変わらず中高年層の世代が大半のようだ。若い人の姿を町内で見かけない。見かけても明らかに他市町村からきた温泉客だ。
腹が減ってきたので小高い山から下山?して『町の湯』に併設された食堂で鴨肉うどんと生ビールで空腹を満たした。このときの生ビールは最高だった。至福の一時という感じ。
その後、山下旅館に戻って、昼寝をした。湯ったりとした宿泊2日目であった。
最後に、山下旅館別館の位置は、小高い山の公園に登れば、ひと目でわかる。なぜかって、それは屋根全面に「山下旅館」と漢字で書いて屋根公報をしている唯一の旅館だからである。
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