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2009年5月

2009年5月10日 (日)

竹炭、炭焼き初体験(その二)

今日、炭焼きが完了し、窯より取り出した。竹を窯に投入してから窯に投入した日を加えて4日目で竹炭を取り出したことになる。
取り出すために、窯の蓋を取り除いたときの窯内の状態を次に示す(写真-1)。

写真-1 窯内の焼き上がり状況

窯から炭を取り出している最中の写真(写真-2)である。因みに取り出している作業者は小生である。


写真-2 炭出しの作業状況

小生は現在、S会社で窒化けい素の焼成を担当しているが、炭の焼成も窒化けい素の焼成に類似しており、炭もある意味では還元焼成法である。さらに類似している点が共に自己反応燃焼である。そのようなことから竹炭焼成に何となく興味をもつようになった。竹炭といってもその品質はピンキリで、販売できるような竹炭の焼成はやはり年季がいるようだ。
今後は、趣味で自給自足の竹炭を焼いていこうと考えている。また、そのような中で皆さんに貢献できたらと考えている。
炭焼きの工程を簡単であるけれど箇条書きで列挙した。何かの参考になれば幸いである。

  1. 竹(孟宗竹がベスト)を4分割ないしは6分割に割って窯内に入る長さにする。(このときの竹は生でもOK)
  2. 加工した竹を窯内に目一杯(充填率100%)充填する。
  3. 窯の蓋をしてその上に土あるいは保温性のものを覆う。
  4. 窯の炊き口より同素材の竹を燃料として火を焚く。
  5. 煙突の開口度で燃焼速度をコントロールするため、煙突の径を絞り込む。
  6. 煙突の付け根より取り出す竹酢液の採取口を開放しておく。
  7. そのままの状態で一晩程度竹を燃焼(煙色で判断する)させる。
  8. 竹が燃え終わったら煙の色が白から青、さらには無色になるのでそれを目安にして、窯の焚き口の部分を灰かあるいは土で覆い被せる。
  9. その後、15~30分経過したら、煙突を全閉、引き続き、竹酢液の採取口も全閉にする。
  10. しばらく、冷却時間(1~2日間)をおく。
  11. 完全に窯が冷却したことを確認したのち、竹炭の取り出し作業にかかる。
なお、当該の窯の竹酢液採取口は、後部の煙突の最下部にパイプを溶接して、そのパイプ内を伝わって窯外に導き出される構造になっている。窯外に出てくる時には充分冷却され、タールと共に竹酢液が滲み出る(バケツ)。その様子が写真-3である。竹酢液は、窯内より滲み出た液を分離ろ過して得られる。


写真-3 窯内より滲み出た液(タール+竹酢液)を受けるバケツ

小生が焼き上げた竹炭(写真-4)である。品質的にはまだまだであるが、初体験としては良いのではなかろうかと自負している。


写真-4 焼き上げた竹炭

末筆ながら、竹炭の焼き方についてご教示頂いたK氏に御礼申し上げ、擱筆する。

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2009年5月 8日 (金)

竹炭、炭焼き初体験(竹炭工房 その一)

この連休後半は、親戚の紹介で竹の炭焼きの初体験をした。

竹炭の効能は以前から聞いていたが、最近になって地球環境が問題視されるようになってから竹の処置についての話題が急浮上してきた。その一環として竹炭が考えられるようになってきた。

竹炭の物理的性質は、まず、細孔を有していることである。SEM(電子顕微鏡)でその組織を観察すると無数の微細な細孔があるのがわかる。その細孔によって、数々の用途が生まれる。その中の代表例が吸着効能である。その性質によって、脱臭剤、吸湿剤等々の用途に使用されているようだ。

竹炭の炭焼きをしょうと思いついたきっかけは、自宅の前の雑木林に繁茂している孟宗竹の処分に困惑していた時、親戚の知人達で炭焼き窯を保有しているのでその窯で竹炭を作ってはどうかと親戚の進めもあってということがそもそもの発端であった。

その窯がどの程度の規模か、写真を参照して欲しい。
この写真の窯は焚き口正面より撮影した全景である。


この窯はレンガ作りではない。厚めの鉄板を丸めて筒状(ドラム缶タイプ)したもので内容積はほぼ0.3mである。充填可能な素材(竹)の量(1回焼成分(1バッチ))は次の写真に見られるような形状でほぼ軽トラックの荷台一杯分である。


竹の処分に困っている人、あるいは竹炭の入手希望の人、連絡を頂ければ、ご相談に応じることも可能である。なお、連絡方法はコメント欄にその旨を記載して頂ければOK。

竹炭の炭焼き工程については後日、工程写真を交えながら竹炭工房 その二としてブログにアップする予定である。また、焼きあがった竹炭も併せて写真で紹介する予定である。

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2009年5月 6日 (水)

俵山温泉2泊3日(その二)

県内の俵山温泉に2泊3日の予定で、リフレッシュを兼ねてW氏と共に来た。

山下旅館にお世話になった。リーズナブルな価格で宿泊できるのが魅力。食事は部屋食で近くに仙崎港などの漁港が存在するためか、魚系の副食がメインのようだ。また、ここの俵山温泉はもともと湯治場で発展した温泉地である土地柄の所為か、老人向けの食事が主体で、魚、野菜等が多いような感じである。肉好きの人も心配することはない。もちろん、お願いすれば肉類等も食膳にあがるはずである。

宿泊2日目は一日中、温泉に入る以外何もすることがない。そこで昼間はジョギング(歩く)で行けそうな近場の史跡めぐりをすることにした。W氏は毎日、10km程度ジョギングしているらしく、ジョギングが日課なのでこちらに来ても励行しなければと言っていたから一石二鳥である。

早速、朝食を8時に済ませ、近隣の史跡めぐりに出発した。まずは俵山温泉から古市方面に3kmほどのところに大内義尊の墓があるということなので舗装された道路を進んで行った。

舗装された道路沿いは山、田畑ばかりでところどころに民家があるそんなのどかな田舎風景が目に写る。もう、この地域は田植えが始まっていた。また、田畑の周囲をトタン、金網等で囲っている。野生の動物のいのしし、しか、さるが田畑を荒らすため、その予防柵であるらしい。

他愛ない話をしながら歩いていると蓮華の花が一面に咲いた田を見つけた。久し振りに蓮華を見た。我々の子供時代は田一面に蓮華の花が咲いていてその蓮華田の中で「かくれんぼ」しながら遊んだ記憶がある。なぜか、そんな時代を彷彿とさせてくれる。
次の写真が蓮華の花が咲いた田である。



それからしばらくすると、道沿いに「大内義尊の墓」と書かれた史跡標識を見つけた。その標識から左側の山裾に墓が見える。歩いて2~3分のところの墓である。行って見ると確かに大内義尊と書かれた墓石がある。さほど大きくはない。小さな史跡である。
隣接して民家がある。その民家の住民がその墓を管理しておられるようだ。
その大内義尊の墓を写真に撮ろうとしたところ、バッテリー切れのメッセージがでて撮れなかった。その後、他の史跡で再度、写真を撮ろうと試みたところ、写真はちゃんと撮れた。デジカメのバッテリー切れでもなかった。大内義尊の墓前での不思議な現象に少しビビッテしまった。こんな体験は初めて。

そこからUターンして俵山温泉方面に帰った。その帰り途上、有名な「魔羅観音」に立ち寄った。ここは子宝に恵まれない夫婦にご利益があるらしい。以前、立ち寄った時よりもやや寂れているようだ。俵山温泉も以前よりは寂れているようだし、この地区全体に以前より活気がない、そんな印象を受けた。

俵山温泉観光地図に魔羅観音の近くに「五段の滝」「七段の滝」が書き込まれてあった。どのような滝か興味をそそったので行って見ることにした。その滝が次に示す写真群である。
滝がある一帯は、夏、涼気を求めてキャンパーが集うようなところで、近くにはキャンプ場があった。滝自体の規模はそんなに大きくなくて山の谷間には何処にでも見られるようなそんな滝だった。
前2枚が「五段の滝」、後2枚が「七段の滝」









出発地点の俵山温泉に戻ってきた。もう、昼時であるが俵山温泉が一望できる小高い山に公園がありそうなので登ってみることにした。また、この小高い山の傾斜地一面に旬は過ぎたがサツキが咲き誇っていただろう景色が伺える。この公園の名は失念した。確か、○○○公園と漢字三文字だったようだ。
この山の頂上には中に舞台らしきレイアウトがあるRC造りの建屋が建っていたが、今では寂れて兵たちの夢の後というような感じであった。活気のなさを前述したが、ここでもその一端を垣間見る思いがした。
俵山温泉も後継者不足に悩んでいるのではなかろうかと想像してしまう。ここの住民も他と変わらず中高年層の世代が大半のようだ。若い人の姿を町内で見かけない。見かけても明らかに他市町村からきた温泉客だ。

腹が減ってきたので小高い山から下山?して『町の湯』に併設された食堂で鴨肉うどんと生ビールで空腹を満たした。このときの生ビールは最高だった。至福の一時という感じ。

その後、山下旅館に戻って、昼寝をした。湯ったりとした宿泊2日目であった。

最後に、山下旅館別館の位置は、小高い山の公園に登れば、ひと目でわかる。なぜかって、それは屋根全面に「山下旅館」と漢字で書いて屋根公報をしている唯一の旅館だからである。

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2009年5月 4日 (月)

俵山温泉2泊3日(その一)

5月1日から昨日まで2泊3日で県内(山口県)の湯治場で有名な俵山温泉にW氏と保養に行って来た。位置的には近くに観光客の多い湯本温泉があり、俵山温泉を挟んでその反対側に豊田湖がある。

この俵山温泉は昔から湯治場で賑わっているところで、全盛期のころは旅館が約40軒存在していたそうだが、現在は休館している旅館も数件あるようだ。

内湯のある旅館は少なく、殆どの旅館は外湯である。

旅館街の中、普通車がようやく通行できる一方通行の露地沿いに唯一、2件の温泉場がある。一軒目は『町の湯』、もう一軒は『白猿の湯』。この2軒は競合することなく共存共栄の姿勢が伺える。『町の湯』はこの町の銭湯と言う感じ色が強く、リーズナブルな入湯料が魅力。他方、『白猿の湯』は白い猿が傷を癒しているところを見た猟師がここの温泉を発見した由来から名付けられたようだ。『白猿の湯』は傾斜地に建設されていて、1階に土産店があり、その2階にあたるところに温泉があるようだ。その温泉には外石段を登って行くようになっていて、登りきったところの左側が温泉入り口、反対の右側に隣接してフランス料理のレストランがある。多分、オーナーは同じ人だろうと勝手に想像している。

実を言うと、この『白猿の湯』は一度も利用したことがない。その理由になるかどうかは疑わしいが、ここの入湯料は少し高く、700円程度で、露天風呂を併設していて、どちらかと言うと観光温泉色が強い。‐‐‐‐と感じた。若い人好みの温泉かなと思う。
したがって、前述したようにこの2件の温泉は相互補完、相互共助をコンセプトとして営業しているようだという印象を持った。
2軒の温泉は以前、このブログで紹介しているので若干、詳細なことについてはそちらを参照されたい。

この俵山温泉は外湯文化を今も継承しているレトロ的な風情が残る湯治場である。特に前述した温泉のある露地を、街灯が点き始める薄暮、浴衣姿のカップル、家族連れがタオルを肩に手に思い思いにぶら下げて下駄を鳴らしながら闊歩するさまは、まさに明治、大正へと時代が遡及したような錯覚を生み出しそうなレトロな風情を醸し出す絵になる光景である。
ここの俵山温泉は、もともと湯治場であるので、温泉観光地のように騒々しいところがなく、いい意味での静寂さがある温泉地でもある。

我々がお世話になった旅館は、先日、妻が一週間ばかり湯治でお世話になった山下旅館別館である。ここの宿泊代は1泊2食で8000円程度、連休で割高だと言うことでした。平日は1泊2食で7000円程度で、長期滞在者には5000円程度と格安らしい。
別館は和風建築であるので隣の部屋の声が聞こえて、少し、プライバシーの点からは難があり、若いカップルだと敬遠されそうな感じがする。防音面に気を配って頂けたらリピーターが増えるようなそんな印象を持った。一方、食事は朝夕、部屋食で当旅館の一つのセールスポイントのようだ。

また、今夏のイベントの一つ、来月の6月6日?~13日、蛍祭りがあるようだ。山下旅館別館のすぐ傍に川幅5~6mの木屋川(こやがわ)がある。その川に大人同士がカツガツ離合できそうな小さな橋が架かっている。その橋の名が『ほたる橋』だ。この橋から光演舞する蛍を鑑賞するそうな。子供連れの家族、若いカップルには絶好のお勧めポイントである。ただ、大人数では橋の強度に限界がありそうだ。また、スペース的にも小人数鑑賞となる。言わば、家族風呂ならぬ家族橋である。なお、蛍の品種は源氏蛍とのこと。

今回はここまでとし、俵山温泉に滞在中、この周辺の史跡を散策したので「その二」として後日、紹介する予定である。

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